わたしは学生時代、いじめを受けていました。
小学3年生の頃にいじめられて、
そこからずっと大人になるまで
かなり精神不安定な生き方や考え方を
強いられることになりました。
覚えている限り上げていくと
まず購入したばかりの新品のタオルを
学校へ持って行くなり、
翌日にはなくなっていて、
顔も知らない他校の人が
使っているという事態が起こったり、
机の中に「お前のことなんか
全員嫌いなんだよ、シネ」と
誰が書いたかわからないよな
薄気味悪いヨボヨボな文字で
書かれた手紙を入れられていたり
新しいかわいいキーホルダーを
大切に大切にランドセルの奥底に
しまって持って行ったものも
翌日にはなくなっていて、
別の子が全く同じものを
持っているところを見たり、
今振り返ってみても胸の奥が
ぎゅーーーっと
締めつけられるほどの
強い痛みの伴う過去です。
元々明るくて誰にでも
優しくできる子でしたが、
それを上手く利用されてしまったのか
グッサリ傷ついてしまい、
その後抜毛症になってしまいました。
本当に悲しくて、
ずっと心臓がはち切れそうな思いを
抱きながら過ごしたことを覚えています。
当時の自分に出会うことができるのなら、
やさしく「ごめんね」と言って
抱きしめてあげたい気持ちでいっぱいです。
その頃の自分はどのような
行動や態度をとったのかというと、
身体が硬直してしまい
思うように動けなかった上、
これ以上誰かに何かを言うと事が大きく
なってしまい大変なことになると察知した
わたしはとにかく気にしないフリをして
平然を装い、
親や先生にもバレないように
必死にごまかして過ごしていました。
友だちなどにバレてしまうことが
すごく怖くて、
とにかく人目を人の百倍以上
気にして過ごすようになりました。
家族にも何事もなかったかのように
振舞ってはいましたが、
やはり相当辛いことを抱えていたので
まつ毛も全部抜いてしまい、
その変化に気が付いた親は
わたしを怒鳴り散らしました。
「なんでそんなことするんだ!」
「親戚からどうしたのって言われたよ(呆れ顔)」
「生えてこなくなったらどうすんの」
まだ8、9歳のわたしには
とんでもなく負担で、
伝えるなんてあまりにも難しすぎて、
やさしさから伝えないってことを
選択したわたしにとっては
地獄なことばかり起きました。
タオルをとられてしまうことも
よく考えれば窃盗ですし、
あまりにも理不尽ですし、
メンタルがズダボロになっても
しょうがないようなことばかりが
起こっていたのですが、
心配させたくない気持ちと、
自分がいじめを受けていると
思われたくないという気持ちも
あったんだと思います。
元々目立つことも避けたり
前で発表することも怖いタイプ
でしたのでそこも拍車を
かけたのかもしれません。
なぜあんなにも我慢して
1人で抱え込んでいたのか振り返り、
おそらく仲いい子が引っ越ししたり
信頼できる子が周りにいなかった
状態でしたので
その環境下で何をしでかすかわからない人
たちにまでいじめられてることが
伝わることが怖かったのだと思います。
わたしは自分のまつ毛を
抜くだけでは物足りず、
育てていた観葉植物まで
抜いてしまった記憶があります。
もうこの気持ちを1人で抱えきれなくて、
どこにぶつけたらいいのかもわからず、
とにかく不安で不安で
押しつぶされてしまいそうで、
自分を維持できる
唯一の方法がこれしかなかったのです。
自傷行為とは緊張や不安を
和らげるために快楽を得られる方法
とのことで、
もしかしたらあの当時の
わたしなりに精一杯小さな体で
大きな不安と戦うやり方は
これしかなかったのだと思います。
人に頼らず自分を傷つけてまで自分を頼り、
自分を頼った自分を褒めてあげたいですし、
同時にここまで傷つくと
人生がとんでもないほど
ぐちゃぐちゃなる、
ということも学びました。
わたしは抜毛症は自分を守る
手段だったのだと思います。
抜毛症になった自分を周りの大人は
とんでもなく責めました。
ただ、わたしだけは守っていたと思います。
だって、どう考えても
あの頃のわたしはそうするしかなかったし、
傷めつけてでも
不安や緊張や焦燥感や孤独を
紛らわす必要があったと思います。
これが世間でいうところの
トラウマであり
インナーチャイルドかと思います。
そのまま順調に大人になれるかと思いきや、
何度もそこに引き戻される瞬間はあり、
全然順調にいかない人生を送ってきました。
こんな経験を経て
今後どうなったのかも書いていきます。
綺咲 茜